『励ます習慣を身につける』

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あなたは肯定的な励ましの言葉をかけられるのと、否定的な言葉をかけられるのどちらが好きですか?

私は断然、励ましの言葉をかけられる方が嬉しいです。励まされると、自分の欠点を素直に見つめることができ、改善する意欲が湧いてくるからです。逆に、否定的な言葉をかけられると、それが正しい指摘だったとしても、素直に受け入れられなくなってしまいます。励ましの言葉は人を建てあげる力があるなと感じます。

それでは、もう一つ質問です。あなたは普段、他者に対してどれくらい励ましの言葉を投げかけているでしょうか?(もし、AIがあなたの1日の言動を分析したとしたら、励ましの言葉は何%くらい含まれているでしょうか?)こう考えると、もしかしたら、励ましの言葉より、否定的な言葉が多く出てしまっているかもしれません。

神様は、私たちが、お互いに否定し合うのではなく、励まし合うように願っておられます。もし私たちがお互いに励まし合い、お互いを建てあげることができるなら、素晴らしいコミュニティが形成されるのではないでしょうか?

今日は、聖書に出てくる人物の中で、人を励まし人を建てあげるのが得意な人物バルナバから、励ますことについて学んでいきたいと思います。

バルナバについて

バルナバは使徒の働き4:36-37に登場します。

キプロス生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、所有していた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。

使徒4:36-37

バルナバとは『慰めの子』という意味があると書かれています。これには注釈があり、『励ましの子』とも書いてあります。原語のギリシャ語では、パラカレオーという言葉が使われていて、これには慰める、励ます、強めるなどの意味があるのです。ちなみにバルナバはニックネームで本名はヨセフだったとも書いてありますね。

つまり、バルナバは常に人々を慰め励ます存在だったので、彼によって励まされた人々から『励ましさん』と呼ばれるようになっていたわけです。

彼はそこまで目立つ存在ではなく、影から支えるタイプの人物でした。あの有名なパウロも彼によって励まされ大活躍した人物でした。バルナバがいなければパウロの活躍はなかったと言っても良いくらいの影響を与えた人物です。

今日は、このバルナバから励ます人になるための3つの原則を見ていきたいと思います。

  1. 励ましの人は、人の成功を喜ぶことができる
  2. 励ましの人は、人の能力を認めることができる
  3. 励ましの人は、神様から与えられている使命に気づかせる。

1. 励ましの人は、人の成功を喜ぶことができる。

バルナバは、ユダヤ人たちが救いは自分たちだけのものだという選民思想を根強く持っていた時期に、異邦人(ユダヤ人以外の人々)にも救いが与えらている様子を見て喜びました。そのことが使徒11:23に書かれています。

バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。

使徒11:23

彼は、エルサレムの教会からアンティオキアに派遣されて異邦人がクリスチャンになっている様子について調べる使命がありました。もし、他の弟子が派遣されていたら、バルナバのように喜んだり、信仰を励ましたりはできなかったかもしれません。むしろ、割礼も受けていない、律法も守らない(つまり自分たちと同じように行動しない)人々を、神様が神の家族に招いているとは信じられなかった(信じたくなかった)かもしれません。しかし、バルナバは違いました。異邦人にも神の恵みが及んでいることを見て喜んだのです。

私たちの生活に置き換えて考えてみると、自分たちが始めたプロジェクトを、後から始めた人たちが成功した状況に似ているかもしれません。以前、私たちの教会で地域の人たちに対してセミナーを行いました。広告も出して、セミナーは盛会でした。しかし、半年過ぎた頃、市役所の広報をみて目が飛び出ました。知らない団体が、同じようなセミナーを同じタイトルで、しかも市の共催として開催しているのを知ったのです。セミナーの内容自体は地域の方々の生活に役立つものですから、広まった方が良いとは思いつつ、とても嫌な思いをしたのを覚えています。

バルナバは、異邦人グループに神の恵みが及んでいるのを見て、素直に喜びました。彼は人の成功を喜ぶことができる人物だったのです。なぜ、彼はそのように喜ぶことができたのでしょうか?それは、彼の心が神様の愛で満たされていた(聖霊に満たされていた)からだと聖書は記しています。

彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大勢の人たちが主に導かれた。

使徒11:24

彼の心に余裕があったからこそ、彼は妬みの心ではなく、人の成功を喜ぶことができたのです。私たちも、まず神様との関係を見直しましょう。神様が私たちを愛し、私たちを認め、私たちを受け入れてくださることを心に留め、卑屈な心ではなく、寛大な心で人を励ませるようになりたいですね。

2.励ましの人は、人の能力を認めることができる

2番目のポイントは、人の能力を認めることができる、です。励ましの人は、自分よりも能力のある人と働くことができます。バルナバは、アンティオキアで宣教を進めるためには、自分一人の力では難しいことを悟り、タルソに住むパウロを呼び寄せました。一説によると、バルナバとパウロは当時最も影響力のある学者ガマリエルの元で共に学んだと言われています。バルナバはパウロの才能を知っていたので、彼を呼びました。きっとパウロの方が優秀だということをバルナバは理解していたのでしょう。実際、働く場を与えられたパウロはその才能を発揮し、バルナバより活躍していきます。バルナバは、そのようなパウロを励まし、彼が神様から与えられた使命を全うできるように助けたのです。

日本文化の中では、後輩が先輩よりも出世するのは難しい風潮があります。人の能力を認めるよりも足を引っ張られたり、圧力をかけられることがあると思います。社会ではそのような競争があるのは仕方のないことかもしれません。

しかし、教会では違います。私たちは互いの能力を認め、人を自分よりも優れたものとして認めることが大切なのです。それがイエス様の姿だからです。パウロはこのように言っています。

互いに人を自分よりも優れた者と思いなさい

ピリピ2:3

バルナバは、まさに人を自分よりも優れた者と思い、その能力を認めることができた人物だったのです。そのようにして、パウロの活躍をサポートしました。もしかすると、私たちクリスチャンは、このように人の能力を認める文化、励ましの文化を広める使命があるのかもしれません。社会は競争だとしても、私たちから励ましの文化を広めていきたいですね。そのためにも、まず側にいる人を励ます習慣を身につけましょう。

3. 励ましの人は、神様から与えられている使命に気づかせる。

これは、とても大切なポイントです。人が神様から与えられている使命に気づく時、その人の人生はガラッと変わるからです。それは、自分の命を何に使うのかがハッキリするからです。

バルナバはパウロに声をかけました。この時パウロがどういう状況だったかというと、ダマスコでの回心から紆余曲折を経て、空白の10年を過ごしていたのです。表舞台からは遠ざかり、地元のタルソでひっそりと暮らしていたのです。なぜかというと、彼はユダヤ人コミュニティからは、クリスチャンに寝返った裏切り者と見られ、クリスチャンコミュニティからは、迫害者として警戒されていたからです。

この10 年程彼は何を考えて生活していたのでしょうか?以前神様から言われた『わたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です』という言葉を疑うほどの時間が過ぎていたに違いありません。

そんなパウロが表舞台に戻ってくるシーンが今日の箇所なのです。パウロは、バルナバによって、神様から与えられていた使命を思い起こさせられたのです。そして、彼の才能を発揮する場所が与えられたことによって、この後の大活躍に繋がるのです。

私たちも、人を励ますとき、私たちの評価を伝えると同時に、神様から与えられている才能(賜物)に気づかせることが大切です。神様がその人を必要としていることを伝えるのです。もし、相手が自分に与えられた使命に気づくことができるなら、その人は力を得て、前進していくのです。

まとめ

今日は、励ましの人バルナバを通して、人を励まし育てることについて学んできました。この一つ一つの姿は、バルナバの姿でありイエス様の姿でもあります。イエス様は私たちにの成功を願い、能力を認め、使命(コーリング)を与えてくださっているのです。私たちもバルナバのように人を励まし育てることができたら、この社会が変わり、そこに神の国が表されていくのです。

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