まず自分自身に福音を語る。

クリスチャンであっても、まず自分自身に福音を語る必要がある。

クリスチャンとして生活していると『福音は伝えるべきもの』という意識が強くなり『福音を受ける恵み』から遠ざかってしまうことがあります。しかし、『福音は私たちを救いに導く力があるだけでなく、私たちの心を変革する力なのです。』

実は、多くのクリスチャンが、恵みによって救われたにもかかわらず、しばらくすると『自分の誠実さ』というギアにシフトしてしまい、その結果、どこかで息切れしてしまったり、最悪の場合、信仰から離れてしまうケースがあります。

もし私たちが『自分の誠実さや努力』に信仰の土台を据えているなら『恵み』というギアにシフトチェンジしなければなりません。

そのためにも、私たちは信仰生活において、まず自分自身に福音を語らなければいけないのです

福音を拒んでしまう原因:自己義

なぜ、私たちは福音を自分自身に語らなくなってしまうのでしょうか?その原因の一つは『〈社会生活〉では、自分はそれなりにちゃんと生きている』という感覚、つまり自己義にあると言われています。

もちろん、皆さんは社会的には責任を果たし、真面目に生きて来られたと思います。成功体験もあると思います。そのこと自体は素晴らしいものです。しかし、同時に神の前には、小さな存在であることを覚えなければなりません。この『神の前にある謙虚さ』よりも『自己義』の方が大きくなる時、神の恵みを受け取ることが難しくなるのです。

聖書の中で、恵を受け取るのが難しくなってしまった代表格のグループはパリサイ人や、ユダヤ教の指導者たちです。彼らは『正しく生きることによって神に認められる』というスタンスで生きていました。結果として、神の前に謙虚になるのではなく、自分たちの正しさを誇るようになってしまったのです。

彼らにとっては、今まで自分たちが築き上げてきた成功体験(律法通りに正しく生きることによって義と認められる)を真っ向から否定するようなクリスチャン の考えには賛同できませんでした。つまり、イエス・キリストを信じる信仰によって救われるという教えは受け入れがたいものでした。

そのような人々に、パウロが語った言葉が、今日の箇所です。

Acts 13:46  そこで、パウロとバルナバは大胆に語った。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければなりませんでした。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者にしています。ですから、見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。

使徒13:46

『神のことばは、まずあなたがたに語られなければなりませんでした。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者にしています。』とパウロは言っています。言い換えるなら、『神のことば(福音)は、まずあなたがた(神を信じると言いながらも自分の義に頼っているものたち)に語られなければならなかったのに、あなたがたは神の前に自分の義を誇り、神の福音を受け入れることができなかった。』というのです。

福音とは何か?

そんな彼らに対して、パウロは福音とは何かを示しています。

Acts 13:38  ですから、兄弟たち、あなたがたに知っていただきたい。このイエスを通して罪の赦しが宣べ伝えられているのです。また、モーセの律法を通しては義と認められることができなかったすべてのことについて、Acts 13:39  この方によって、信じる者はみな義と認められるのです。

使徒13:38-39

ユダヤ人たちは、モーセ の律法を守ることによって、義と認められる(つまり、救われる)と考えていまいした。なぜなら、救いとは罪の束縛からの解放であり、それは罪を犯さない生き方、罪を償う生き方によって得られると考えていたからです。

しかし、パウロはユダヤ人のパリサイ派として生きた経験から、いくら正しく生きても義と認められる解放感は得られないと知っていました。むしろ律法を通して、自分の罪の深さを見せられ続けたのです。

そんな彼が初めて罪からの解放を経験したのが、復活したキリストに出会ったときだったのです。神であるイエスが自分の罪を取り去ってくださったという体験によって、彼は信じることによって義と認められる(救われる)という確信に至ったのです。

実は、ギリシャ語では、『義と認められる』という言葉は、『解放される』という意味があります。ここに罪の束縛との関係性がよく示されていると思います。

つまり、福音とは私たちが努力によって獲得するものではなく、ただイエス・キリストを信じる信仰によって義とされる(罪から自由にされる)というものなのです。

あなたは福音を受け取っていますか?

ここで、私たち自身にも問い直したいと思います。私たちは福音に生きているでしょうか?私たちの罪のためにキリストが十字架で死に、私たちを罪の束縛から解放してくださったと心から体験しているでしょうか?そこには喜びが伴うのです。

それとも、どこかで今日の箇所に出てくるユダヤ人たちのように、何か正しい行いをすることによって神や人に認めてもらおうという意識が働いていないでしょうか?もしそうだとしたら、今日の御言葉は私たちに語られています。

『神のみことばは、まずあなたがたに語られなければならない』のです。まず、私たちが自己義という生き方から離れ、キリストの義に信頼する生き方にシフトチェンジする必要があるのです。そのためにも、まず自分自身の弱さや神に対する罪を認め、キリストの赦しを受け取る必要があるのです。

まとめ

私たちはクリスチャンになっても、まず自分自身に福音を語り続ける必要があります。それは常に謙虚に生きる生き方でもあります。神の前には自分の善行や業績は誇ることはできないことを知ること。そして、そのような私たちの善行や業績に関わらず、神様はそもそも私たちを愛してくださっていることを素直に認めることが大切なのです。私たちが、この驚くべき恵みに気づく時、私たちの生き方が変えられていくのです。ですから、まず福音を自分自身に福音を語りましょう。

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