使徒の働き3章1〜10節
誰でも落ち込むことはある。
皆さんは、落ち込んだ経験はありますか?程度の差こそあれ、みな人生のどこかで挫折を経験したり、落ち込む経験があるのではないでしょうか?「やる気が起きない』「すぐに疲れてしまう」といったうつ的な症状もあれば、過去の失敗に引きづられてなかなか前に進めないというケースもあるでしょう。また失敗の連続で「どうせ・・・」という考えが頭に染み付いて挑戦することを諦めてしまっている人もいるかもしれません。もし、現在落ち込んでいる、また将来の不安があるという人がいるなら、今日のメッセージは神様からあなたへのメッセージです。イエス・キリストを信じる信仰が私たちに立ち上がる力を与えてくれるのです。
人生を諦めていた男
今日の聖書の箇所では、生まれつき足に障害を抱えていて歩けない男が登場します。彼は40歳を過ぎていたと書いてありますから、彼は人生の大半を歩くことなく生活していたのです。彼は物乞いをしながら生計を立てていました。歩けないという自分の弱さを曝け出して、人々に物乞いをする生活です。どのような思いで物乞いをしていたのでしょうか?おそらく彼の中では、他の人のように歩けないという劣等感はとっくの昔に薄れて、歩けない自分という運命を受け入れていたのではないでしょうか?また歩けないのは自分の罪のせい、または親の罪のせいだと思い込み、仕方ないと諦めていたかもしれません。
信仰によって立ち上がった男
そのような彼のもとにペテロとヨハネが現れます。ペテロは彼に「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と言い、右手を差し出しました。すると、この男も素直にペテロの手をとり、ペテロに立たせてもらいました。その時、この男の足とくるぶしが強くなって跳ね上がって歩き出したと書いてあります。ここに大切なポイントが隠されています。彼は足が癒されてから、立ち上がったのではなく、信仰によって立とうと思ったから癒されたのです。つまり彼の信仰が彼に立ち上がる力を与えたのです(使徒3:16)。彼の状況を考えれば、『無理ですよ』と断ることもできたはずです。しかし彼はイエスの力を信じ、信頼したのです。
キリストに委ねる時に力が与えられる
私たちにも、この男のようにキリストを信頼し、神様に大胆に委ねないければいけない時があります。今まで諦めていたことでも、イエス様の手をとって立ち上がる信仰が必要な時があるのです。状況が良くなったら信じるのではありません。信仰を持って立ち上がるのです。そのときに神様が扉を開いてくださるのです。私たちはキリストに信頼する時、落胆することはあっても、必ず立ち上がる力が与えられます。皆さんはどうでしょうか?落ち込んでしまうとき、弱くなってしまうとき、何に信頼を置いているでしょうか?イエス様に信頼して立ち上がり、イエス様と共に歩んでいきましょう。
ある者は戦車を ある者は馬を求める。しかし私たちは 私たちの神 主の御名を呼び求める。彼らは膝をつき 倒れた。 しかし私たちは まっすぐに立ち上がった。
詩篇20:7-8
Q. あなたはどのようなときに、落ち込みやすいですか?
Q. あなたが普段、拠り所としているものはなんでしょうか?
Q. イエス様に信頼するとは、どういうことでしょうか?