使徒の働き 2章5〜13節
世の中の基準
私たちは気づかない間に、世の中の基準を身につけて物事をみています。学歴、年収、住む場所、『いいね』の数など、たくさんの物差しが溢れています。これらの基準自体は必ずしも悪いものではありませんが、それによって比較し優劣の評価をつけてしまったり、自分自身の価値を測ってしまうところに問題の根が隠れています。私たちは、そのような世の中の基準を賢く使いながら、同時に神様の基準で物事をみていく必要があります。
神様の基準
神様の基準は、世の中の基準とは異なります。世の中では強い者や頭の良い人が影響力を持っていきますが、神様はむしろ弱い人や知恵のない者を通して、神様の素晴らしさを表す方なのです(第1コリント1:27-29) 。今日の聖書の箇所で、多くの人たちが、学歴や住む場所という基準で弟子たちをみていることがわかります。『この人たちはみなガリラヤの人ではないか。』と半ば見下しているのです。しかし神様は、田舎者で教育を受けたことのないような、社会的に弱い者を用いて福音を伝えられたのです。
弱さを通して働く神
このように、神様は弱い者を通して(人々の弱さを通して)働かれます。私たちも生活の中で、様々な基準で人と比較してしまうことはないでしょうか?その中で、劣等感を感じたり、弱さを感じたりすることがあるかも知れません。しかし、神様はそのような基準から私たちを解放し、私たちが神様の大切な作品として生きることができるように変えてくださいます。社会的には見下されるような弱い弟子たちを通して、神様は栄光を表されました。同じように、神様は私たちの弱さを通して、神様の素晴らしさを伝えようとされているのです。
Q. 世の中にはどのような基準(物差し)があると思いますか?
Q. また、あなたはそれらにどのように影響されていると思いますか?
Q. 弱さを通して経験した神様の恵みはありますか?