祈りの力

祈りとみことば から離れると疲弊する

みなさんは、霊的な疲れに気づくことはありますか?忙しさや悩みを抱えていると、ついつい問題にばかり心が向いてしまい、神様と向き合う時間(聖書を読んだんり、黙想したりする時間)が削られてしまいます。私はそのような時、まるで泥沼にはまったように重い気分になってしまうことがあります。でもふと我に帰って、心を神様に向けて祈るとき、神様の愛に触れ、心に平安が与えられるのを経験してきました。祈りには私たちを前に進ませる力があるのです。

祈りとみことばの時間が削られた弟子たち

初代教会の弟子たちも、忙しさの中で、祈りとみことば の時間が削られてしまう経験をしました。忙しさの原因は6:1-7に書かれている食事の配給の問題でした。はじめは弟子たちもその問題の解決のために働いていました。しかし途中でこのままだと教会の本質である祈りとみことばに割く時間がなくなってしまうという危機感を感じたのです。そこで弟子たちは、この問題を解決するために7人のリーダーを選び彼らに任せたのです。それは、弟子たちが本来の役割である『祈りとみことば に専念する』ためでした。

祈りとみことば によって力が与えられた初代教会

この後、クリスチャンたちは力を得て宣教が世界に進んでいきました。ちょうど今日の箇所は、宣教の第一ステージであるエルサレムでの活動が進み、次のステージ(ユダヤ、サマリヤ、世界各地)に入る転換期にあたる出来事でした。ここで祈りとみことば の大切さに触れていることは興味深いですね。つまり、次のステージに進むためには、教会が祈りとみことば に力を注ぐ必要があったのです。なぜなら、祈りとみことば こそ力の源だからです。

疲れたら祈ろう

イエス様は『わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。』(ヨハネ15:7)と言われました。私たちはイエス様との関係から離れては力を失ってしまいます。ですから、私たちがイエス様に留まるために『祈りとみことば』が必要なのです。なぜなら、祈りとみことばは私たちの心をイエス様の元に導いてくれるからです。今、忙しくて祈る時間がない、と感じている人はいませんか?もしそうだとするなら、逆に、忙しいから祈る時間を持ってみてください。問題に対処する知恵と力が与えられ、心に余裕が生まれるからです。

Q. あなたの忙しい生活の中で、祈りとみことばを優先させるために、どのような工夫(マネジメント)が必要ですか?
Q.祈りとみ言葉を中心とする教会を建て上げるために、あなたはどのような賜物を活かしたい(試したい)ですか?

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